イチロー選手、王監督への違和感

イチロー選手王監督への違和感

イチロー選手が、王監督と食事したときに

 「監督は現役時代、選手の時に、自分のためにプレーしていましたか、
それともチームのためにプレーしていましたか?」

と尋ねた。

イチロー選手は、常日頃から自分のためを公言して、
チームのためとか言ってるヤツは腹が立つ
とまでいっています。

王監督は、
 「おれは自分のためだよ。
だって、自分のためだからこそ、それがチームのためになるんであって、
チームのためになんていうやつは言い訳するからね。」

それに対し、イチロー選手は思わず、ありがとうございますと。

私はこの世界を代表する二人の言動に以前から違和感を感じていたのですが、
楽天ゴールデンイーグルスの野村監督
著書「エースの品格」で氷塊しました。

野村監督は、「個人成績を上げることでチームに貢献する」
という発想はプロ野球選手として抱いてはならない
、といっています。

「間違いではないが、団体競技である以上、
「チームの勝利に自分はどう絡めばいいのか」が正しい。
と。

間違いではないと前置きをしているということは
自分のためも含まれてるけれどもと解釈できます。

ヤンキースの松井秀喜選手も日ごろの言動から野村監督に近い考え方と思います。

一方イチロー選手も王監督も
「自分のためだからこそ、それがチームのためになる」
とチームのためも含まれるけれどもという。

じっくり考えたのですが、
これ割合の違いではないかなと。

例えば、野村監督、松井秀喜選手は、
チーム8、自分2

イチロー選手も王監督
チーム2、自分8

そのような感覚ではないでしょうか。

ひっかかるのは、イチロー選手は確かに個人としての成績は素晴らしいのですが、
チーム内に「消化試合で気がゆるんでロッカーでトランプしている」人や、
自己管理ができていないプレーヤーに、よく腹を立てて、
ふっかけて不協和音をたてる行動に出ます。

ここを「チーム=団体競技」の思考の割合が多いならば、
消化試合でトランプしている「チームメイト」をどう奮い立たせるか?
チームとして向かう方向を示して、リーダーシップをとって
まとめる行動にでることができると思うんです。

個人の面倒はみるが、全体の面倒を見る力に欠けているという印象なんです。

でも、そのイチロー選手が
チーム全体の面倒を見る=リーダーシップを発揮したことがありました。

WBCです。

まあ、日本人プレーヤーは一所懸命で自己管理ができるプレーヤーがそろっていたとはいえ、
あの時のイチロー選手は、チームのためにという割合高く動いたと思うんですね。

ただ、メジャーの中にはいると
アメリカをはじめ世界から集まるプレーヤーの、言葉、文化の壁のせいか
リーダーシップを発揮して「チーム」をまとめないのかまとめることができないのか
「自分のため」の割合が多くなってしまう。

現役を引退した元近鉄、元ドジャースの野茂英雄投手
Nemberという雑誌で
「30歳になるぐらいまでは、
自分が活躍することが結局はチームのためになるんだ、
自分が絶対にいい結果をだすんだって考えていました。

でも、30のてまえぐらいからですかね、
チームで戦っていくことの大切さ、その中で
自分はなにができるんだって考えるようになりました。

チームのためにできることをやり、
それをチームメイトに理解してもらうほうが
ずっとやりがいがあるってわかってきましたからね。」

と語っています。
野球をずっとやっていくなかで考え方が
変わる人もいるということですね。

イチロー選手は他の競技、特に個人競技でも一流になったと思いますが、
ハンマー投げなどの個人競技をしても素晴らしい選手になっていたでしょうね。

室伏選手のような身体つきのイチロー選手って、想像するだけで・・・おもしろい・・・

和田コラム

野球が一段とたのしくなるように感じたものを・・・
関連エントリー
楽天が巨人に勝つ日スポーツライター小関順二氏「野球力」の衝撃的内容イチロー選手、王監督への違和感今日の格言野球規則34カ所改訂 2007年1月相互リンク募集野球リンク集プロフィール